ここなっつぴぃす

紡いだ夢の先へ

舞台「Little Fandango」観劇記録

 

「Little Fandango」の東京初日と東京千秋楽を観劇してきました。

 

DisGOONie Presents Vol.11「Little Fandango」

@EXシアター

 

6月19日 13:00公演(東京楽)

12:00 ロビー開場

12:26 劇場入場開始

12:45 影ナレ(長妻、吉川)

13:00~14:31 1幕(『The Goonies 'R' Good Enough』を合図に出航)

14:31~14:50 休憩(予定15分)

14:50~16:34 2幕+カテコ(3回)

 

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~カテコ~

・急に振られた瀬戸くんのときには周りから失笑が漏れる。観客は7ORDERのファンが多かったけど、この作品を通して瀬戸くんの扱い方を覚えたなって感じで本当に皆さんいじり方がプロでした。

・話がやけに長いながつ(声ガッスガス&小さい)

 

2回目

・はけるとき ドアに頭ぶつける萩ちゃん

 

~アドリブシーン~

6月10日

・ゴムパッチン。返事をしないジーニーにプレディ保安官がパッチンするんだけど、表情ひとつ変えないジーニーさすが(喋れなくて可哀そう…痛いよね?)

 

6月19日

・おもちゃのハンマーで叩いて被ってじゃんけんぽん。ジーニーのじゃんけんの仕方おかしいし(後出しにもほどがある)、しまいには師のローゼンバーグを叩き、叩き返されるジーニー。

 

~雰囲気~

・初日の堅い雰囲気と比べると、東京楽はだいぶ和んでいた。一番それが顕著に表れるのは笑うポイントだったり手拍子するところだったり。

・2幕も最後の方になるとあちこちで啜り泣き

 

ref.

最初は1Fから入場してたのに、いつのまにやら2Fから入場するスタイルになってた。

 

 

今回もありがたいことに相関図をまとめてくださる方がいたので、それを参考に西部開拓時代を勉強。

 

 

これからDisGOOnieの作品観に行くよ~って方、時間があるならば予習(登場人物とか時代背景とか)することをお勧め致します。今回私は初日に入ったのですが、当時は弾丸で行ったうえに全キャラクターの名前がわかっているわけではなかったため、何も予習せずに参戦しました。観劇している中で、頻出する名前はある程度覚えられるのですが、なんせ横文字ばかりなので覚えるのが大変。リンカーン群戦争とかゴールドラッシュとか名前しか聞いたこと無い…くらいでした。そして万全に備えた1週間後の観劇は色々なことが繋がってくるんです。ヒヤヒヤして見てたビリーもリンカーン群戦争では生き残った歴史を知っていたのでちょっと安心して見れたり、ビリーの幼少期を知ったり。西部開拓時代って調べてみると意外と検索にヒットしない人物もいたり。でも、こうやって一つの作品を通して新しい学びを得るのはとても楽しい。DisGOOnie乗船するたびに毎度こんなことしてるので、やけに世界史に詳しくなる。

 

ニューメキシコ州―かつてはゴールドラッシュに湧きあがり、ならず者たちが活気を作っていたこの街も、今では区画整理され、法の下に秩序が行き届いている。

その街で生まれた議員の息子・ヘンリーは親友のマクスウェルと共に、家の屋根裏で一冊の古ぼけた日記を見つけていた。父親嫌いのヘンリーにとって知りたかったのは、この街の歴史。自分の血の中にきっと隠れているであろう「カウボーイ」の真実を知りたいのだ。

そして、かつてこの街にいた伝説の悪童の名を。

 

その名は、「ビリー・ザ・キッド」。

 

21人を殺し、21歳でその生涯を閉じた悪童、そしてリンカーン郡戦争を勝ち抜いた「英雄」だ。日記を広げながら、少年二人は、カウボーイたちの世界に入り込む。パッド・ギャレット、ドク・スカーロック、コー兄弟、リチャード・ブリュワー、そして、自分と同じ名前を持つヘンリー・マカーティ。

 

日記は、歴史となり、そして新たな西部劇が幕を開ける。

(DisGOONie Presents Vol.11 舞台「Little Fandango」)

 

 

HPのあらすじにはこう書いてある。


そして、高校で日本史を選択している私は、


「西武開拓時代とは何ぞや…?」


の初歩的な下調べから始まったのである。

 

そもそも西武開拓時代とは、1860〜1890年のアメリカの時代区分。この時代のアメリカといえば西武地方が開拓され始め本土は無法地帯化。その中でも名を轟かせていたのがビリー・ザ・キッドである。「西部劇」というひとつのジャンルが確立されているように、時を超えて多くに人に親しまれている。

 

しかし、ビリー・ザ・キッドは謎に包まれている点が多数ある。とりあえず私が調べてわかったことをざっとまとめると以下の通りである。

・別名ヘンリー・マカーティ
・左利きのガンマン
・華奢
・NY出生、ニューメキシコ州リンカン出身。移住先のニューメキシコ州で牧場主タンストールに気に入られレギュレーターの仲間入り
・12歳の時に母親を侮辱した男を殺してからは無法者のレッテルを貼られる
・生涯に4〜21人を殺害
・哄笑を浮かべながら撃つ
リンカーン群戦争で生き残る
・映画や小説などでは弱きを助け強きをくじく「義賊」として描かれることが多い
・現存している写真は数枚しかない

 

また。彼の石碑には「真実にして経歴。21人を殺した。少年悪漢王。彼は彼らしく生きて死んだ。」と刻まれているという。リトファンのあらすじにある「悪童」は、彼の歴史を辿ってみればよくわかる。

 

作品のタイトル『Little Fandango』の「Little」は華奢なビリー・ザ・キッドのことを指しているように感じた。
では、ファンダンゴとは何か。どうやら調べてみると、ファンダンゴの発祥地はスペインらしい。スペインーそれはかつてアメリカを植民地支配化していた国である。現在においてもFandango at the Wellが開催されるように、アメリカではこの文化が強く根付いている。劇中にもファンダンゴのシーンが多数出てくる。

 

「物語はいつだって人の勝手な解釈に委ねられる。歴史だってきっとそうだ」

観客の感じ方や考え方によって色んな解釈が生まれる演劇と同じように、ビリー・ザ・キッドら西部開拓時代の歴史は国によって、人によって捉え方が異なる。西部開拓時代に限らず、多くの歴史が各国の都合が良いように認識されてる現代ならば、このことは想像にかたくない。

 

 

西田作品は一回観ただけでは理解できないーこれはよく声である。しかし、私が思うに、西田作品は観れば観るほど発見することがあるけど、観れば観るほど様々な解釈が生まれ、謎が深まる。だからこそふせったーやブログを見て色んな観方を調べるわけだが、今回はあくまで私の解釈を記載したいと思っている。

 

 

物語は、西部開拓時代と現在(西部開拓時代後)の時間軸が共存している。

 

現在と言っても、西部開拓時代を生きたピートの息子マクスウェルが少年であることから、西部開拓時代からそこまで離れた時代でないことがわかる。時代や人物などの説明的なセリフを他者からの視点としてヘンリーが話してくれることで、観客は前提的な内容を知ることに。

 

ドクが書いた日記を読むヘンリー。ドクとセリフが一致すると「気が合うねぇ!」と言われる。

 

 

タンストールは自身の死を覚悟していた。

気を利かしたディックが店を離れ(タンストール曰はく)、タンストールがパットと2人きりになるシーンである。ディックが去る直前に自分のテンガロンハットを彼に被せるタンストール。間を置いてディックはその場を後にするが、まさかこれが最期の言葉になるとは思いもしなかっだだろう(この時に思い浮かんだたのが「Phantom words」と「MOTHER LAND」である。リトファンもやはり“言葉”を探す作品であったのかもしれない)。この後タンストールはパットに射殺されるわけだが、ディックに帽子を渡した時点でタンストールは自分が殺される結末を感じていたと考えられる。

なぜなら、タンストールに自分が情報を流していることがバレたので、パットは彼を撃ったから。そしてそれを最初に口にしたのはタンストール自身なのだ。このような時代に生きていたからこそ、言葉に出せば命の危険に晒されることを自覚していたはずなのに、彼は発することを選んだ。「言葉に殺される」ーーローゼンバーグが言うように、彼は自分の言葉で死んだ。

 

レギュレーター派を裏切ったパットだが、彼はタンストールに恨みを持っていたわけではないように感じる。彼はずっとビリーを殺したいと言っていたからだ。早々にビリーの名前や彼が酒に弱いことを知っていた。彼の存在がその時点で有名だったとすれば名前はまだわかる。問題は酒に弱いことまで知っていたことだ。ビリーはこれがバレないように酒を飲むことを控えてきた。もちろん、酒が飲めないと言ったこともない。しかし、パットは間を置かずしてビリーの酒が飲めない癖を見破ったのである。バーテンダーをやっていればそれくらいできるのかもしれないが、この発言をしたときの彼は妙にきっぱりと断言していた。彼はいつからビリーを撃とうとしていたのだろう…。

そもそもパットの立ち位置は曖昧だ。ある時はローゼンバーグにつき、ある時はプレディ保安官を殺そうとするビリーらにつく。彼は生きるがために、ある種のプライドを捨てて寝返ったのではないだろうか。

しかし、彼も決してプライドがないわけではないのである。ローゼンバーグにジョン・バーリーコーン(タンストールの好きな酒)を求められた際、「それだけはお断りします」と明瞭に断った。その意思だけは確かなものだったのではないか、タンストールを敬っていたのではないか、と私は思う。

そしてここからリンカーン群戦争が始まるのだ。

 

 

ジョン・バーリーコーンーー何度死んでも立ち上がれ

 

タンストールの死を受けて威勢が消えるレギュレーター一同。「やられたらやり返す」の信念を継いだピートは早く行動を起こそうとディックに迫るが彼は恩赦を出そうとしており、仲間内で考え方の違いから揉め事が起きたりと一人一人の感情が原動力になってる。

 

タンストールの形見の帽子をリーダー・ディックから次々とレギュレーターのメンバーが継いで戦う。全てはタンストールの敵を討つために。

 

そんなところに、プレディ保安官から奇襲がかかる。ビリーを最前に出して殺そうと。この意図を知っていたディックは苦しい表情をして決意して決意した…ビリーに自身の銃を渡して。3日後の奇襲当日(ここで客降り)、彼はビリーの囮になって殺された。「頭がいい奴じゃねぇとだめだ……」と最期の言葉を残して、タンストールの形見の帽子をドクに託す。

 

 

タンストールにディックの死が重なり絶望に暮れるレギュレーター。そこで彼らを奮い立たせたタンストールの信念は、

 

「何度死んでも立ち上がれ」(ジョン・バーリーコーン)


何度辛いことがあっても、仲間が殺されても立ち上がれ。

 

 

タンストールが好きだった酒の名前だった。

 

レギュレーターはタンストールの帽子とディックの銃と共に戦場に出る。コー兄弟の兄がジーニーに撃たれた際は「兄ちゃんっ!!!」と駆け付ける弟。仲間が殺されても折れずに立ち向かう。撃ち撃たれながら、一度はバラバラになっしまったが、プレディ保安官殺害時に再び集結するレギュレーター一同。

 

 

愛する人のために…

2幕のラスト、ビリーが殺されるシーン。ビリー・ザ・キッドは史上ではパット・ギャレットに殺されたことになっている。長い歴史の観点で見たらそれが全てだ。しかし、この作品は史上では数行しか記されない話がそれぞれの感情を織り込みながら数時間かけて語られる。

 

1881年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレットに射殺される。当時ビリーは丸腰で、寝室から食べ物を取りに部屋を出たところを闇討ちされたと言われている。寸前に発した最期の言葉はスペイン語の「誰だ?」だとされている。

(ビリー・ザ・キッド - Wikipedia)

 

今作品でも、暗転した際に銃を向ける音がしてビリーが同じことを言っている。パットは自分からホアニータを奪った報復としてビリーを殺害しようとする(ローゼンバーグはパットに対し「自分より後に入ったビリー・ザ・キッドが注目されてるのが気にくわないだろう…?」と薄ら笑いを浮かべていたが、個人的には自分が注目されなかったことよりも好きな人を取られたことの方がギャレットには辛かったように感じる)。

面白いのはこの後だ。そこでパットはビリーにも銃を渡すが、ビリーは彼を撃たなかった。何故かーー

 

ビリー「お前は俺と似ているからだ」

 

最終的にビリーは思惑通り殺されるのだが、その時間は暗転して銃音しか聞こえなかったため誰が殺したのかは明確にされていない。その場にいたのはギャレットとピート、アポリナリア。冒頭にヘンリーがギャレットのことを“ビリー・ザ・キッドを殺したとされる男”と説明していることから、最も有力なのはパットだろうが、それ以前に一度ピートはビリーを撃っているのである。しかも、パットは殺したと「される」男なのだ。殺したと断言はしていない。ここは完全に観客に解釈が委ねられている。

 

このシーンではビリーの成長も感じることができる。レギュレーターに入った当初は頑なに周りとの関係を断ち切っていたが、共に時間を過ごすにつれて彼は「生き延びること」だけではなく「仲間を失わないこと」も意識するようになった。ディックに「俺はお前を仲間だと思っていない……!」と言われたときの彼の気持ちはどんなだっただろう。無表情ではあったが、その奥で傷ついていた気がする。誰よりも不器用で素直な性格だから。

「ビリーは人を愛そうと努めた」と最終的に仲間は言っている。「愛する」は非常に多様な意味を持っている。少なくとも、彼はホアニータを愛し(その結果子どもが生まれたわけだから)、「これ以上殺させない……!」と自身以前に仲間のために一人で動こうとした。

 

 

そんなビリーの日記の1ページが、

 

「人生をやり直したい…。今、私には守りたい人がいるから…。私の誤った人生…最初からやり直したい……」

 

涙が止まらなかった。タンストールが死んだのは自分のせいだと責めるビリー。「もう何も言わなくていいから」と彼を抱きしめるホアニータ。ここで彼らの間に恋愛感情的な愛が生まれたように感じる。人々の英雄だった彼も他の人間と同じように生にもがき苦しんでいる。残虐でもあった彼が自分の生きる意味を見つけた。

 

モニターに表示されていた英訳がとても優しい(ニュアンス的に)という声を聞いたので、ここの言葉を考えてみたいと思う。

 

I want to start my life over…

because now, I have people I want to protect…

my erred life… I want to start over…


英語だとニュアンスが多い言葉を翻訳しているので、選出のバリエーションは豊富なわけだが、なぜこれらの単語を選んだのか。個人的に考えてみたことを留めておく。


・over

start over で「もう一度やり直す」という意味。

なくても意味が通じるover(〜の全部を、〜の隅々まで)を語尾に入れることで、意志がより強調されているように感じる。


・protect

「守る」のニュアンスの違い

defend 攻撃に対する防衛(反撃も想定される)、敵に重きを置く

guard 警護する、見張る

protect 保護する、外敵などから何かを守る場合(反撃は想定されない)、守る方に重きを置く


defendよりも優しいニュアンスで、敵よりも妻や子供の存在を大切にしている気持ちを感じた。


・error

「間違い」のニュアンスの違い

mistake ちょっとした間違い

wrong 道徳的な間違い

fault 正しいものが欠けた状態、欠陥

incorrect 不正解

blunder 不注意から起こる重大ミス

slip ちょっとした間違い

mess up 親しい真柄に対して

error 意図しない正しいことからの逸脱、判断ミス、誤審


彼の生き様が「ちょっとした間違い」という小さなことではなく、大きいレベルでの話であること、しかもその間違いに自分がこれまで気付けなかったことが強調されているように感じた。

 

 

そして、ホアニータが子どもを宿したことを知ったビリーが子どもにかけた言葉はーー

 

「みっともなく死にたい…出来るだけみじめに…。その分…この子がうんと奇跡に恵まれるように……」

 

人を想う気持ちを知らなかった彼が、仲間と過ごすことで愛を知り、守りたい人を持つようになる。その人の幸せを願うために、自分を犠牲にさえした。

一番最後のシーンではビリーが息子ヘンリーの銃の向け方を直している。ビリーは既に死んでいることからこれは現実世界の場面ではないだろうが、どこかでビリーは息子を見ていた。カウボーイに思いを募らせた息子を、微笑みながら愛おしそうな眼差しで見つめるビリーの顔が忘れられない。

 

 

これらがピートによって破られたページだ。

「物語はいつだって人の勝手な解釈に委ねられる。歴史だってきっとそうだ」

冒頭の言葉はここにも繋がってくる。もし、この破られたページにヘンリーが関心を示さなければ、この時代の解釈は変わっていた。彼を傷つけないようにとピートなりの善意で破った衝撃の結末に、彼は向き合った。

 

衝撃的な結末ー

それは、ヘンリーがビリーとホアニータの子であったこと。そして母代わりに彼を育ててくれたアポリナリアが、嫉妬の念からヘンリーの産みの母を殺した実の姉であったこと。

 

その街で生まれた議員の息子・ヘンリーは親友のマクスウェルと共に、家の屋根裏で一冊の古ぼけた日記を見つけていた。 父親嫌いのヘンリーにとって知りたかったのは、この街の歴史。自分の血の中にきっと隠れているであろう「カウボーイ」の真実を知りたいのだ。 (中略)自分と同じ名前を持つヘンリー・マカーティ。

 

でも、あらすじには「議員の息子」と書いてある…彼の父親はビリーで、ビリーは死んだはずだから辻褄が合わないな…再婚でもしたのかな…と解釈に苦しんでいたため、ツイッターで調べてみたら……なるほど、父も母も殺されたヘンリーを育ててくれたのはパットとアポリナリアなのか。これもひとつの解釈に過ぎないから絶対とは言えないけど、このように仮定するといくつかの場面が一致する。例えば、オープニングでヘンリーを見つめるパットとアポリナリアの温かい視線。

 

この解釈が腑に落ちた瞬間震えた。

リトファン凄すぎる。アポリナリアはパットが好きで、パットはホアニータが好きで、ホアニータはビリーが好きで、ビリーはホアニータの気持ちに応えてというように「愛」ひとつの感情をとってみてもこんなに交差している。ホアニータの「違うわ、あの人の子よ!」という言葉から、子供ができたことを理由に彼女がビリーと結ばれようとしていることを感じた。最終的に、彼らの間に生まれた子・ヘンリーはホアニータを殺したアポリナリアと、ビリーを殺したパットによって育てられるという結末。

 

パットが議員になった経緯や、ヘンリーがパットを嫌っている理由は不明だが、ヘンリーにカウボーイの血が流れていたことは事実だった。21人を殺した悪童ビリー・ザ・キッドが託した「ヘンリー」という名前を背負って彼は生きていく。

 

 

ヘンリーが結末を知った時にマクスウェルは彼に「ごめん」と謝っていた。最初は単に、彼が傷つくと思って隠した結末を本人に知らせてしまったことを悔やんでいると思ってた。しかし、色々考えるにつれてビリーを殺したのはピートではないかという考察がやはり浮かんでくるのだ。自分の父親(ピート)の行いを、代わりにマクスウェルが謝っているような気がした。他にも、彼が父の行動に対する責任をとっていると伺える箇所がある。ヘンリーの母が来ると彼は毎度隠れていた。その行動の裏にはやはり、アポリナリアに頼まれたとはいえピートがヘンリーの実母ホアニータを殺したという事実があって、その事実を日記を読んで先に知っていた彼は合わせる顔がなかったのではないかと思う。

そもそも、マクスウェルがヘンリーにしか見えない説さえ浮上している。その考察を見てみると納得はするが、私にはよくわからなかった。

 

もうひとつ、疑問点といえばビリーがどうしてそんな字を書けたのかということである。アポリナリアは日記に記された彼の字を見て驚いていた。この点についてこれ以上は言及されていない。ビリーは15歳の頃に母親を亡くしている。彼がしっかりした教育を受けていたのかはわからない。受けていたのであれば字は学んでいるんだろうし、受けていないとすれば誰かから学んだか独学で勉強したか。どっちにしろ彼は15歳で家を出て21歳で亡くなる6年間の間レギュレーターに所属し、仲間と日記を回しながら文字で歴史を残してきた。現代に至り、その日記は「歴史」となって語り継がれているのである。最高権力者のローゼンバーグは言葉は嫌いだと言った ーー 彼は文字と言葉を区別していなかった。タンストールは日記を残せと言い続けてきた。改めてタンストールの偉大さが伺える。彼はこの時既に文字の重要性を知っていたのだ。

 

 

一回結末を知った上で見るオープニングは色々な発見がある。『No Erasin'』自体がイントロめちゃくちゃ盛り上がるので、ラストシーンで流れてきたときは涙出てきた。観劇するまでは、パットに撃たれてビリーが死ぬ結末でしょ、なんて単純なオチを想像してたから良い意味で裏切られて。その過程を大切に描いてくれた西田さん。

 

板上でマクスウェルからピートに変わる演出。同じ衣装、同じ髪型、変わっているところはないはずなのに私達観客は、それまでマクスウェルだったながつをすぐさまピートだと認識した。

 

配信ではできない体験を劇場で感じさせてくれる、客席を巻き込む照明。

やっと実現した客降り。後方からも役者さんが出てきて、どの席でも楽しめる演出だった。

 

レギュレーターが一度バラバラになった時は、あのみんなでいた時間のありがたさを感じたり。

藤岡友香さんの4回くらい登場する『Giving』で感極まり。

 

戯曲、演出、音響、照明、ダンスーー全ての芸術要素を堪能した3時間半だった。最高の航海をありがとうございました。この座組、この作品に乗船できて本当に良かった。

 

 

開幕直前配信で西田さんはこのようなことをおっしゃられていた。

「日常は戻りつつありますけど、やっぱり演劇界はとても苦労してるなってところがちょっとあって。仲間の舞台だったりとか各方面で色んなところが苦労してる様がとてもあるんですよね。でその中ではこうー…観に来てくださる方がいらっしゃると思っていて。この配信見てくれてる人はさー多分チケット買って下さってたりとか複数観てくれるって人もたくさんいると思ってるんですね。それに対して僕らはものすごく感謝してるんですけども、やっぱり一度しかないこのLittle Fandangoをたくさんの人にどうしても観てほしいなって思いがあって。やっぱね席のちょっと少ない回の日もあるんでね、これどうにかできないかと思ってこれどうにかできないかって僕らも考えたりしたんですけど、せっかくならさこの祭りを最大限みんなと一緒にその分本気の舞台を届けようと思ってるんでね。今回キャンペーンとしてねもう一ステージだけ買って下さってる方も観て下さってる方も、もう一ステージだけ観に来ませんかってキャンペーンをね、今回やろうと思ってます。その分楽しんでもらえるようにスペシャルなことを考えました」

(DisGOONie舞台「Little Fandango」開幕直前配信 - YouTube)

 

さらにはツイッターでこんなことも。

 

今回乗船したことが少しでも、演劇界に貢献できていればいいなと思った。演劇の魅力を、面白さを、素晴らしさを教えてくれた西田さんとDisGOOnieに恩返しがしたい。その一心で応援してるし、これからもこの船に乗船し続けます。

 

 

 

 

~出演者の印象~

 

・萩ちゃん

1幕の主演って感じ。お酒に酔っぱらうとこをは可愛しいぼそぼそ何か喋ってるのも可愛いし、不器用だけど真っ直ぐなビリー・ザ・キッドを演じられてたなぁって。ビリーは左利きのガンマンだったことで有名だけど、萩ちゃんんはしっかりそこまで再現してた。苦手だろうがなんだろうが言い訳せずに黙々とこなし、それを当たり前のように見せてくれる彼はやはりすごい。

 

・ながつ

カテコでよくわかるように、日に日に声がガスガスになってくながつ。それほど魂削ってピートと、マクスウェルと、作品を向き合ってるんだろうなぁって感動した。しかも疲れてることに本人全然気づかないんだから。彼が座組いたことでとても明るくなったんだろうなぁってアドリブシーン見てて思う。洋二郎さんとの相性ばっちりだよ(特に今日のハンバーグ師匠は)。

 


・校條くん

初見:島ステ

この期間中にめんちゃん呼びが少しづつ定着してきた。島ステの際にwiki調べてたんだけど、改めて調べてみると色んな作品出てる。ペダステ(しかもまさかの第2弾)、Kステ、ダイヤのA、ツキステ、薄ミュ(まーしーと共演)、炎ステ、僕らの七日間戦争、かなり出てた。年齢見てみたら安井の謙ちゃんよりひとつ上でびっくり。なんて若々しいんだ。役柄的な部分もあったけど、女性を大切にしていたりと所作が美しすぎた。愛するホアニータを殺したアポリナリアの手を乱暴にではなくそっと離したりとか。紳士すぎて落ちてしまいそう。

 

・瀬戸くん

初見:マザラン

明治座で主演を張った彼が、今度は物語を支える重要人物として乗船した。彼の昌平君の演技に圧倒され、ちょくちょく他のお仕事も追ってたりしたので、今回また共演できて嬉しい。観劇前にはせぱ恋でめちゃくちゃ可愛い瀬戸くん見てたから、「…生きてる…!この世に存在してるんだ……!」と感動 at EXシアター。死ぬシーンが切なくて良かった。演技はとても繊細でしっかりしていたのに、カテコになったらぽわぽわしてる、これぞまさにギャップ萌え。

 

・みり愛ちゃん

初見: リトファン

1回目ではヘンリーが誰だかわからなかった。萩ちゃんながつに挟まれたり、彼らに帽子を被せてもらったりした時の身長差にきゅん。ホアニータが超可愛かった。

 

・きっかちゃん

初見: アクステ

女性が逞しいDisGOOnieできっかさんは最強。アクステの医者のときはなんせ2.5だったのでどんなお顔をしているんのかわからなかったけど、ストレートで見てみると本当に綺麗でしかも面白い。アフトで怜央って呼んでたからある程度の関係性はあるんだろうなぁと思って微笑ましい。

 

・大海将一郎くん

初見:リトファン
名前が翔ニ郎くんと似ててごちゃごちゃになる。まほステに出てたらしくてHP飛んだら南の国のそっくり兄弟くんのお兄ちゃんだった。井澤さんにハマり和合ちゃんにハマり、彼らが非常に溺愛してる輝琉くんをキャストサイズで初めて拝見して…と3章が終わったあたりから見事にまほステのキャストにハマっているのですが、推しが集う南の国にまさか将一郎くん。ついでにたまたま見た演出家さんの名前がほさかようさんで聞いたことある…!って思ったら劇団番町ボーイズだったりシャイニングだったりキャラメルボックスだったり逆転裁判だったりと色んな作品携わってる方だった。さらにさらに、リボステではまーしーと共演してるし、薄ミュではあの斎藤一やってるし、今年のライブでは祥平くんと一やるっていうし

 

・横井翔ニ郎くん

初見:リトファン

将一郎くんがまほステ出ていたことに、その縁に感動し彼のこともwikiで調べてみた。初日後フォローした彼のツイッターで毎朝おはよっこいと呟いていた意味がわかる(よっこいって呼ばれているらしい)。四月は君の嘘(まーしー)だったりうたプリだったりあんステにも出ていたらしい。ピートが文字を覚えるのを諦めようとした際に、レギュレーター達は彼の事見て変顔してるんだけど、その中でもよっこいさんの変顔はクオリティ高すぎた。

 

中村嘉惟人くん

初見:リトファン

まさかの中村海人くんと漢字は違えど同姓同名。ホイッスル、おおきく振りかぶってなど。

 

山口大地くん

初見:リトファン

西田さんとジャニーズ数名が共演していたガネオペに出ていたらしい(観に行けなかったことが心残り)。ツイッターでヤバグチ ダイチって言ってる方が言ってめちゃくちゃ共感。何も話していないはずなのに、ジーニーの残虐な性格だけはしっかり感じた。喋れない役だったけど、ローゼンバーグが撃たれたときに声上げてて。彼は彼でローゼンバーグ派閥と時間を共にすることで言葉を覚えたのかなと想う。演技とカテコのギャップ。東京楽ではマイク持ってきたのに音入らず(可愛い)。そこで初めて普通に喋るところを見たのでなんか新鮮だった。

 

・萩野さん

初見:デカダン

このときは1週間に3回萩野さんを見た(武道館とEXで)。それぞれ役所が全然違ったけど、萩野さんがいる現場は安心する。今回は賢志さんと良子さんが薔薇ステの方に行っていたため大人組が少し寂しかったけど、DisGOOnieの大人組は本当に楽しい。今回の楽屋割りが萩野さん、洋二郎さん、内堀さん、賢二さんだったそうなんだけど、間違いなく愉快でしょこのメンツ。楽屋トーク聞いてみたい。

 

・洋二郎さん

初見:DisGOOnie

洋二郎さんの声は聞いただけでわかる。イケボ。アドリブが超面白い(ハンバーグ師匠最高でした)。今作に限らず、毎回DisGOOnieが3時間4時間超えするのは彼と萩野さんのアドリブが長いからではないかと考えている。開幕直前SPでもずっとコメント気にかけてくれたり話してない人に話振ったり、オチの流れ作ったりと頼もしい大黒柱だなって感じる。

 

・賢二さん

初見: リトファン

怒鳴る声が響いて好きだった。みんなから愛されてるタンストール。他の役も見てみたい。

 

・内堀さん

初見: リトファン

覚悟を決めてビリーに殺されようとした時の演技は観てて切なかった。彼は結局ならず者であることを選んだのかなーって。ローゼンバーグやプレディは上に行くことを正義としていたけど、彼にとって地位は重要ではなかった。幹部と自分感情の狭間で自身を見失ってたけど、最終的には自分の望んだ結末を迎えられたのかなと思ってる。ローゼンバーグやプレディ保安官と比べると彼は話が通じる。タンストール同様にプライドを持って生きていたのかなって。