ここなっつぴぃす

紡いだ夢の先へ

ミュージックソン 2021

 

無事に終わった。

私の毎年恒例クリスマスの過ごし方。今年は学校の冬季講習(という名の自習)があったので学校で電車の中でも聞きながら今年も全て聞くことができた。

ミュージックソン歴4年目、キスマイからのバトンを受け取った今年のパーソナリティーSixTONES。ジャニーズ2代目。ここまで来たら意地というか、せっかく毎年聞いてるんだから今年ももちろん聞くしかない(今年は24時のショータイムないのね)(日程的にそうなることはわかってるけど終わったまた半日後にANNあるの大変だな)。

 

もちろんやる側も大変だけど、聞く側も寝ないために必死で起きているのは結構辛い節がある。24時間テレビとは違って音声だけでの発信。ラジオは視覚障がい者の方にとってはとても便利なメディアだなって思った。大学受験に向けてこういう分野を研究しているので参考になりそう。

最初のハラハラ感、深夜のノリ、ゴールが見えてきた時の達成感全てが愛おしい。

あの重い音楽(テーマソング?)が流れた瞬間にあぁ今年もやってきたんだなって。一緒に24時間乗り越えるとまた一層彼らとの絆が強まったように感じる。途中途中睡魔に襲われて辛くなるときもあるけど終わった後はあの時間を乗り越えられて良かったなって思える。

 

個人的な見所と言えば、OPとEDと盲学校の生徒と一緒に合唱するところ、深夜のANN。去年のANNはカオスだった(ハム太郎)ことをたいぴーと宮っちが振り返ってて急に思い出した。真面目な企画の中でこういう時間もあると入りやすいし深夜なので有難い。

 

今年のANNも面白かった。北斗もきょもも樹とやるときいつも面白いので一人でもいけるなと感じたけどやはり彼らは期待を裏切らない。北斗のツッコミってまーしーと似通った部分があるなぁ。2年前くらいあたりから彼はよく喋るようになったなと思う。仕事がとても楽しそう。数年前とか彼のソロラジオだなんて考えられなかっただろうな。

2人の入れ替えのとき(3時前くらい)普通に喋っててきょもほくあんな関係性になってたのね。久しぶりにリアルタイムで見たので新鮮だった。

 

樹もお疲れ様。きょもとかもあの微妙な時間帯のソロラジオはかなり大変だっただろうけど回す機会が多かった樹も重労働よね。去年はたいぴーと一緒だったけど今年は一人で12時まで漕ぎつけて。お疲れ様。

 

毎年内容はそこまで変わらない。でも今年初めて聞く人もいたり、毎回聞いてても一年経てば忘れてしまうこともある。同じことでも繰り返すことで思い出すことがあったり、新しい視点を得ることができたりする。

温かい気持ちになる。このラジオのために身を削ってでも携わろうとする人がいて、協力してくれる視覚障がい者の方たちがいて。

 

ミュージックソンを聞いた後は普段見えなかったものが見えてくる。点字ブロックに物が置かれてないか、周りで困っている人はいないか。まだ高校生で正直自分に何ができるとかわからない。でも、こうしてこのラジオを聞いて視覚障がいの実態を知るだけでも何か社会に貢献できるのではないか。募金、LINEスタンプの購入が少しでも音の出る信号機への寄付に繋がるのであれば。

 

ラジオの中でも触れられた問題。街中で白杖を持っている人を見かけたらどうすればいいか。私も幾度となく経験がある。むやみに声をかけて向こうの迷惑にならないかなと深く考えてしまい話しかけることを躊躇ってしまう。

白い杖を持ってる人=困ってる人 ではない。困ってるかどうかは聞いてみないとわからない。声をかけることをコミュニケーションとしてもっとフランクに捉えれば話しかけやすい。視覚障がいのある方たちは普通の人よりもコミュニケーションを楽しんでいるように感じる。インターネットが普及して口上でのコミュニケーションは画面上に文字として表示することができるようになり人との関わりが薄まりつつある中で、声に発して言葉を紡ぐことはとても大事なことだと思う。なんだかんだ自分が困ったときに助けてくれる存在がきっと周りにいる。捨てたもんじゃないよこの世界も、って最近感じるようになった。

 

毎年参加してくれる子の成長を見守るのもひとつの楽しみ。田宮はやとくんのハートフルストーリーが本当に良かった。彼らは視覚を奪われているだけではなく私達が当たり前にできることさえも奪われてるんだなぁって。北斗の言葉に涙にこちらまで泣いてしまった。それにも関わらず田宮くんはどこませも明るい。彼の明るさに勇気をもらうしなんでこんな明るくいられるんだろう。生きるってすごいな。

 

全ての人が生きやすい社会を作るために。

私達にできることなんてたかが知れているけど、そのできることを今初めてみることが大事なんだと思う。声をかけないで後悔するのであれば、かけてみた方が良い。それで大丈夫だと言われたらコミュニケーションを楽しめたということで。声をかけることは決して躊躇することではない。言葉にしないと互いに伝わらないんだから。募金してみてコミュニケーションをとってみて何事も挑戦する勇気を持とう。彼らの明るさに私達が勇気を貰うように私達も何か彼らにできることがあれば。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。障がい者の方が生きやすい社会は私達にとっても生きやすい社会である。少しの工夫を凝らすだけで誰かが生きやすい社会が造られるのであればみんなで協力するべきなのではないだろうか。そんな思いを抱えつつ今日からまた生きていこう。