ここなっつぴぃす

紡いだ夢の先へ

演劇を考える

今回取り上げるのは、鴻上尚史さんの『演劇入門ー生きることは演じることー』(集英社新書)。

 

書店の新書コーナーをふらふらしてたら鴻上さんのお名前が目に入り、「鴻上さん!?梅ちゃんの虚構の劇団の!!」ってノリで気が付けば即決。

 

本の学びを深めるために大事なのは、正解はなんだろうか、でなく、自分はどう読むのか。そして、ひとはどう読むだろうかと、ほかの解釈に関心を持ち、それを突き合わせること。こういう試行錯誤の繰り返しが、本の学びを深めることなのです。(橋爪大三郎筆『人間にとって教養とはなにか』SB新書)

 

あくまでイチ高校生としての考え方ですが、橋爪さんがおっしゃるように、自分の解釈・意見ってしっかり持っておくべきだなと思いこの記事を執筆致しました。

 

 

【本の要約】

Ⅰ 演劇の特徴

①リアリティの幅が広い=観客がリアルだと感じるための条件が緩い(小説>マンガ・アニメ>演劇>映像)

②演劇はセリフの決まったアドリブ…セリフは決まってるけど、言い方はその瞬間の相手次第

=考えることと感じることを両立させる…セリフを言うときには相手の言葉や空気などを感じねばならない

 

Ⅱ 観客が熱しやすい理由

①迫力がある…役者と観客が同じ空間にいる

②たった1回ここでしか体験できないという感覚

③チケットが高い

④勝手に止められない

 

Ⅲ 演劇で想像力が養われる理由

①情報量は圧倒的(視覚的なものなど)but伝える意味は曖昧…曖昧(充分な説明がない)だからこそ感情移入しやすい

②観客が視点を選ぶことができる=観客が主体的に参加する

③他人の視点で人生を見る経験をする→他人の気持ちを想像できる力が養われる

 

Ⅳ 演劇が求められる理由

①私たちが演劇的な構造に生きているから…私たちは日常の仲で見る人(=観客)を想像して振舞う

②観客と出会える…失われた共同体を埋められることもあれば、疎外感を感じることもある→観客が観客と出会うことは衝撃的

③心を動かせる…日常生活で心を動かすのは危険で負担が大きすぎるため、「心が動いたフリをする」

④「現実の人間関係で苦しむのは嫌だけど、虚構の関係の仲で人間関係を堪能したい」と考える人たちのために

 

【評論】

Ⅰ演劇の特徴

①リアリティの幅と2.5次元

リアリティの幅が広いというのは考えたことがなかった。言われてみれば、マンガやアニメ、ゲームが原作の作品は近年2.5次元舞台としてよく耳にすることが多い(本書には、2.5次元作品が潮流となっているのはマンガ・アニメと演劇のリアリティの幅が近いからだと記載されている)。

 

ぴあ総研の調査結果によると、一番最近の2018年で上演作品数は197本、総動員数は約280万人、市場規模は226億円となっている。基本的にどの項目においても伸び率は増加傾向にあり、今後2.5次元作品はさらに増えていくと考えられる。

 

【ぴあ総研】2.5次元ミュージカル市場 2000_2018年推移 (pia.jp)

前年比45%増。成長を続ける2.5次元ミュージカル市場/ぴあ総研が調査結果を公表|ぴあ株式会社 (pia.jp)

 

そもそも「2.5次元ミュージカル」とは何なのか。「日本の2次元の漫画・アニメ・ゲームを原作とする3次元の舞台コンテンツの総称」(一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会オフシャルサイト)として定義すると、一番始めに2次元作品を舞台化されたのは1966年『サザエさん』だとされている。その後、『ベルサイユのばら』(1974年 宝塚劇団作品)や1990年代に『美少女戦士セーラームーン』などが上演されるが、一般的に2.5次元ミュージカルの先駆けと言われているのは2003年初演の『ミュージカル テニスの王子様』(通称テニミュ)と言われている。「2.5次元ミュージカル」という言葉が使用され始めた時期は曖昧だが、「2.5次元」という言葉自体は2003年に製造業で「2.5次元加工」、2007年にGoogleマップが「2.5次元地図」と呼ばれるなど2000年代には既に使用されていることがわかる。また、一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会が2014年に設立されていることから、2014年までには「2.5次元ミュージカル」という言葉は普及しており、2003年頃~2014年の間に「2.5次元」という言葉が2次元作品原作の舞台と結び付いたということが考えられる。

他にも、単純に「2次元作品を3次元の役者が演じている」という理由で間を取り「2.5次元ミュージカル」とファンの方々が呼び始めたという説も考えられるなど、「2.5次元ミュージカル」の言葉の由来には諸説ある。「2.5次元ミュージカル」という言葉だけでもその謎は深い。

 

しかし、私は疑問に思うことがある。2.5次元ミュージカルとは、2次元作品が原作であれば全てそう呼ぶのであろうか。例えば、『弱虫ペダル』は舞台作品として定番である(通称ペダミュ)が、2019年原作が実写映画化(主演:永瀬廉)された際に「2.5次元」と呼ばれることはなかった。舞台俳優が原作物を舞台化すれば「2.5次元」と言われるが、ジャニーズや映像作品をメインに活動する俳優が原作物を実写化するときには「2.5次元」とは言われないのである。

また、先月上演されていた舞台『無人島に生きる十六人』(通称島ステ)は単行本を原作とした作品だったが、これが2.5次元ミュージカルかと問われてみればそうは感じない。2.5次元ミュージカルの範囲を「音楽・歌を伴わない作品であっても、2.5次元ミュージカルとして扱う」(2.5次元ミュージカル協会オフィシャルサイト)と定義すると(島ステは歌も多く含まれているが、あくまで“舞台”である)、この作品は2.5次元ミュージカルに含まれるが、自身がそうと感じないのは、登場人物の姿やストーリーが日常的な人間とさほど変わらないからではないだろうか。協会は2次元が原作であれば2.5次元ミュージカルであると定義しているが、実際のところは、ウィッグやカラコンをしていたり、一般的な人間とはかけ離れた見た目や境遇を持つものが2.5次元ミュージカルだと捉える基準となりつつある。 

 

ここまで2.5次元ミュージカルについて語源を考えたり疑問点を挙げたりしたわけだが、日本は2.5次元ミュージカルをもっと推していくべきだ。欧米を舞台とした演劇作品が数多く上演されていることは、他国の文化を知るという点でも様々な作品に触れるという点でも非常に大切である。しかし、日本の文化を海外に発信していくとなれば、日本独自の作品が求められる。そこで、日本が誇る漫画やアニメを舞台化することで他の国にはない独自の作品を作ることができる。日本の2次元作品を舞台化するなら、他国でもできなくはないが、脚本家・演出家・原作者とのネットワークなどを考慮するとやはり最も上演しやすいのは日本なのである。

日本史をテーマにした作品も良い。日本の歴史は他国と比べて特徴的であり、世界的に見てもマニアは多い。それらを発信することは日本への興味を一層深めることにも繋がる(ご存知の通り日本は少子高齢化に直面している。在留外国人の数は年々増加しているが、それでも人口減少のスピードには追い付かない。これを食い止めるためにも外国人を呼びこんだり日本の価値を知ってもらうことは大切なのである)。

 

個人的には、舞台『刀剣乱舞 外伝 此の夜らの小田原』が2.5次元ミュージカルの要素に歴史的要素を組み合わせた作品として非常に日本らしさを含んだ作品だったように思う。刀剣乱舞自体が歴史的な話ではあるが、この公演は小田原城で上演されており、より日本の「和」の文化を感じることができたのではないだろうか。

 

②演劇はセリフの決まったアドリブ

「演劇はセリフの決まったアドリブ」という言葉がずっと頭から離れない。同じ作品を何回も観に行く人がいるのは、公演ごとに受け取るものが違うからだと思う(他にも理由は様々だが)。映像作品ではないので、全く同じ公演は存在しないわけだし、テンポや間、表情なども微妙に違うわけだし、仮にほぼ同じ公演があったとしても着眼点を変えれば新しい発見を得ることもできる。私の場合はどちらかと言うと、同じ作品を何回も見るより違う作品にたくさん触れたいタイプだが、同じ作品を何回も見ることによって物語が繋がった経験や見落としていた表情に気付くこともできた。

 

Ⅱ観客が熱しやすい理由

これこそ情報化社会においても演劇が続けられる理由である。演劇というのはわざわざ劇場にまで足を運ばなくてはいけないし、時間にも拘束されるし非常に不便で不自由な媒体だ。しかし、「より多くの人へ、より早く、より正確に」が求められる今日は目まぐるしく、すぐ疲れてしまう。たまにはアナログが恋しくなるのではないだろうか…これが私の見解である。

近年では上演に伴い配信が導入されているケースも多い。コロナを懸念する人や家事、仕事などの事情で劇場に行く余裕がない人、金銭的余裕がなくて何度も劇場に足を運べない人などにとって、配信は有難い救済手段である。劇場に行く不便性を取り除き、いつでもどこでも見ることができる、映像作品のように止めることだってできる、そのうえチケット代も安い。一見利点が多いように思われる配信だが、それでもなお演劇が劇場で上演されるのは、「生」での感覚を味わいたい人が一定数いるからである。

またもや自身の話になってしまうが、金銭的負担は大きいものの、配信を買うのであれば劇場に赴きたいというのが持論である。たまに配信を買って何度も見返したりはするが、演劇の醍醐味である「生」を味わうために、高くついても劇場に行く。好きな役者に「生」で会いに行く、好きな演出家の演出を「生」で見る、演技を「生」で見て「生」の感情を感じる。演劇が演技、舞台装置、芸術、音響など総合芸術だからこそ、ナマモノなのである。

 

Ⅲ演劇で想像力が養われる理由

他人の人生を経験することができる、というのは小説においても映像作品においても同様である。しかし、他の媒体と大きく違うところは、「生」であること、そして視覚的な情報量が多いにも関わらずその視点が定点的ではないということである。視覚的な情報量的には映像作品も多いが、映像作品の場合は編集者の意図によって視点を定められている。見たいところを見ることができないというもどかしい経験はしたことがある人も多いのではないだろうか。一方演劇は「生」であるため、目の前で繰り広げられている視点を定めることはできない。映像作品では切り落とされやすい手や足の動きなど、表情のみからでは読み取れない様々な感情表現に気付くこともできる。

 

Ⅳ演劇が求められる理由

①私達は皆役者だ

私たちは皆役者である。自覚はなくとも周りの目を意識して行動・言動を起こす。それは「他人に見られている」という点で舞台に立つ役者と一致しており、人は誰しもが自分を演じている。演じると一口に言っても、家族の前と友人の前との自分が違ったり、さらには友人の中でも人によって立ち位置が違うなど、常に自分を使い分ける。演劇はその点において、私達に演じるうえでのヒントを与えてくれたり、例を提示してくれたりする。

 

②観客と出会う

これはイチ観客としてとてもわかる。毎公演入っている観客は違うし、公演によって笑ったり拍手したりスタオベしたりするタイミングが異なる。周囲が泣いていれば自分も泣きやすいし、反対に周囲の反応が固いと自分も笑いづらいし、演劇の質は観客によっても変わることをよく感じる。

 

③④心を解放する

演劇は人の心を動かすことができる。日常生活でいちいち心を動かしていたらあっという間に潰れる。日本人は特に、自分の本音を隠して上っ面だけ笑って、他人との衝突を避けようとする。そんなずっと我慢しきっている心を解放する手段が演劇である。また、人との繋がりを保つために演劇が必要とされる。同じ空間を多くの人と共有しながら、傷つかずにすむ手段としてもってこいだ。

 

 

参考文献

(書籍)

『演劇入門ー生きることは演じることー』鴻上尚史(集英社新書)

『人間にとって教養とはなにか』橋爪大三郎(SB新書)

(論文)

2.5次元ミュージカル』鈴木国男

(Webサイト)

一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会オフシャルサイト

『前年比45%増。成長を続ける2.5次元ミュージカル市場/ぴあ総研が調査結果を公表』

(その他)

YouTube『【考察】「2.5次元」の語源を調査したら宝塚&でんぱ組.incテニミュ等の名前が出てきて最後はピラミッドにたどり着いた【ゲスト小西詠斗】』ぼくたちのあそびば